20121122

新川と中川がぶつかる場所、船堀の中川堤防(2)


やぁ、たぶんポタっちだよ!
ワンワン!

何かしゃべるとボロが出そうなので、さっそく船堀の中川堤防レポのつづきです。


この堤防の中に入れたのなら、もうひとつどうしてもこっち側から見てみたい場所がありました。

旧江戸川から中川までを繋いで江戸川区を東西に横切って流れている新川。
その新川の旧江戸川側の入口には、新川東水門があります。




新川から旧江戸川を見ている方向の写真です。
水門の手前側が新川で、向こう側に旧江戸川が横切るように流れています。




そしてこの写真は、旧江戸川の左岸から見た新川東水門。
さっきの写真の反対側から同じ水門を撮っています。



そしてその反対側、旧江戸川から流れた新川が中川にそそぐ方が、今回ずっとウロウロしている船堀。こちら側には水門ではなくて新川排水機場という施設があり、水が通るトンネルのようなものいくつか見えます。




わぁ、急にイチの写真。
あ、いや、ボクの写真!

びっくりしたー。

あいにく新川排水機場の写真はなくて、その近くにある新川西水門広場にあるトイレと火の見やぐらを撮った写真ですが、もう少し左奥、茶色い橋の奥に排水機場があります。道路からは、水が流れるトンネル5つか6つくらい見えいて、徒歩なら結構そばまで行けます。

そして今回はこの反対側をぜひ見てみたいということで、自転車で初めて走る船堀の中川堤防レポ第2弾、新川排水機場の中川にそそぐ側を見に行ってみることにしました。




新川と中川がぶつかる場所付近から、旧江戸川のある東方向を見た写真です。
排水機場は、あともう少し右のほうにあります。

この公園は、新川西水門広場というそうです。
あんまり広くもないし水門もないのに、名前だけ水門広場です。

この火の見やぐらは、土日祝日と桜の時期なら平日も無料で開放されているそうです。
この日は平日なので登れず。




火の見やぐらの左には、不思議なコンクリートの塊があります。
なにか、橋脚のようなもの?

でも他には見当たらず、たった1つだけ。
それに新川に架かる他の橋の橋脚と比べると、かなり大きすぎる感じです。





実はこれも結構気になっていて、写真がたくさんあります。
だって、なぜかそこに不思議なくらい唐突にあるんですよ。

これは、前回の水上派出所と一緒に写っている写真です。
足元にある武家屋敷風の白壁ともあいまって、かなり唐突でしょ?





高さも結構あるんですよ。

以前からずっと気になっていてググったこともあるのですが、結局わからずじまい。
「相棒 寺脇 降板 なんで」と検索語を入力するような、ググり下手には調べることが出来ませんでした。


さて、本題の排水機場のほうへ急ぎましょう。
・・・っていうか、もう水音がザブザブと聞こえて来ていて、自転車を降りたらもう自然と小走りに!





じゃーん、すごいです!

あと4~5mのところまで近付けます!
高さも近いし、トンネル2つから水がすごい勢いで流れ出してて大迫力です。
カッコイイ!

興味ない人からすれば、「・・・で?」って話だと思うけど、好きな私からするとかなりラッキーな体験って気がします。



と、身を乗り出して写真を撮っている足元に何か石版が。




ま、まん中見えない・・・。




1977年3月
新川西水門締切堤建設工事
延長96.40m→(北の方向)
東京都


うーん。

よくわかりませんが、確実なのは、「新川西水門を締め切る堤防の建設工事が1977年にあった。」ということでしょうか。


ん?

新川西水門はないのに、火の見やぐらのあった広場の名前は新川西水門広場。
→ということは、やっぱり新川西水門は過去実在していた?

ググり下手が「新川西水門」でググりますと、広場完成の話のページばかりがヒットする中にひとつ、「スーパー堤防発想の契機となった新川西水門事故」という記事がヒットしました。

事故があったのは、昭和46年とのこと。
さっきの石版にあった水門を締切る工事が終わったのが1977年だから、昭和52年。
流れとしてはおかしくはないようです。


うーん。<他の検索語が思いつかない


ええい、どこかに西水門の画像はないものか。
実在していたというなら、写真の1枚くらいあったっていいではないか!
こうなったら火の見やぐらだらけなのを覚悟の上で、イメ検だ!!


で、見つけました!!
といっても無断で画像をお借りするわけにもいかず、興味のある方はぜひ見てみてください。

新川西水門(1998年4月撮影) フラッドゲイツ様@Picasa の写真です。



間違いないですねー。

西水門は実在していました。
そして、あのコンクリートの塊こそ、西水門そのものでありました!





橋脚かなにかだと思っていたこのコンクリートの塊は、ゲートが2つだった新川西水門の3つある柱部分のどれかなんですね。こうして改めて自分が撮った写真を見てみると、確かに橋脚じゃなくて水門なら納得のいく大きさです。写真を見る限り、残っているのは一番左の部分かな?

さっきの石版と合わせて考えると、フラッドゲイツさんの写真のころには、もうこの水門はそこにあっただけで締切られていて、使われていなかったのかもしれませんね。

そして、この西水門を締切ったことで船での往来は出来なくなり、新川の運河としての機能が終わったってことになりますね。さっきのポンプ場のトンネルじゃ、船は通れないし。


大正時代には、浦安からここを通って小名木川へ入ってから江東区の高橋(森下)まで、乗り合い蒸気船が通っていたそうです。高橋のあたりって、歴史のあるちょっと粋な感じのどじょう屋さんとかがあるのって、そのせいなんでしょうか。

でも最近広場を作ったわけだし、さすがに「水門復活、運河復活はない。」ってことなんでしょうね。



でもとにかく、なぜ3つのうち1つだけ柱を残したのかはわかりませんが、「水門なんてないのに、新川西水門広場って名前がついてる。」という、私が考えていたうさんくさいなーって感じは、大きな誤解だったってことがわかりました。

間違いなく、ここに西水門はあったのです!
そして、これからも新川を見守るように、今もそこに佇んでいるのです。


あー、歴史がわかるとさらにカッコよく見えてしまう。

こんな歴史があるのに、広場のシンボルがあの火の見やぐらだなんておかしい気がしてきました。
どう考えても、この水門の柱が広場の主役なのに!






ん?!まだ続くの?
またちょっとはみ出たって?


歴史に絡むお話はこれでおしまい。

最後は行止りまで行ってみましたーの写真をぱらぱらと載せてみるそうです。
次回(3)で完結。


じゃ、まただワン!

2 件のコメント:

  1. あれ僕の勘違いかな新川西水門は新川の南側にあるやつだと思ってましたが。北からおりてくると見つけにくいかもしれませんね。
    https://picasaweb.google.com/lh/photo/-f_Yzq7zaMx3tHTLGtxm89MTjNZETYmyPJy0liipFm0?feat=directlink

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  2. これ、私も写真撮ってました。
    第一製薬のビル側にあるほうですよね?

    調べてみたのですが、新川西水門についてはグーグル地図にはないのですが、NAVITIMEにはあるそうで、すごく揺らぎがあるので困ったのですが、リンクをはったフラッドゲイツ様の写真を見て、北側にあったものかと思ってしまいました。実際のところはどうなんでしょうか?!

    今度、中川船番所資料館に行ってみようと思ってますので、もしかしたら古い資料があるかもしれません。確認して来ますね!

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